桃舟の漢字ハウス第22回

{照れながら}再々出演をさせて頂きかたじけないでござる。
前回、流浪の旅に出ると言ったでござるが、もう一つどうしてもお伝えしたいことを思い出し、戻って来たでござるよ。

そうだったのですね。
次のゲストさんの紹介がなかったので、それでお戻りになったのかと思いました。

あ、それも忘れていたでござる。💦

ではさっそく、『初』さん、よろしくお願いします。(*^_^*)

桃舟さんは、「初心(しょしん)忘(わす)るべからず」という言葉を聞いたことはあるでござるか?

もちろん、ありますよ。
「最初に思い立った時の気持ちを忘れてはいけない」と言うことですよね?

それは「初心」というより、「初志貫徹(しょしかんてつ)」とかで使う「初志」に近いでござるよ。

そうですか~、それでは、「物事に慣れてくると、ついつい慢心(まんしん)してしまいがちになるので、はじめたときの新鮮で謙虚な気持ちを忘れてはいけない」と言うのはどうでしょう?

確かにそういった意味もあるでござるが、もっと深い意味があるのでござるよ。

そうなんですね、わかりやすく教えてくれますか?

この言葉は今から遡ること約600年前の室町時代に、能(のう)を大成させた能楽師(のうがくし)の世阿弥(ぜあみ)が残した言葉でござる。

観阿弥(かんあみ)・世阿弥の世阿弥ですね(*^^)v
社会科の授業で習いました。
能といえば当時の大衆芸能で、いわば日本版のミュージカルみたいなものですよね。

世阿弥は観阿弥の息子で、自身が大成させた「能」を後世に伝えるため、「風姿花伝(ふうしかでん)」や「花鏡(かきょう)」といった書物を残しているのでござるが、その中で「初心」という言葉が使われているのでござる。

へぇ~、そうなんですね。

世阿弥は「能」の世界において、「初心」は一度限りではなく、人生の中で何度も訪れるとしており、「花鏡」の中で3つの初心があると説いているでござる。
①是非の初心(若い時の初心)
②時々の初心(人生の時々の初心)
③老後の初心(老いて後の初心)

えっーー、「初心」って最初の頃の気持ちだけを言っている言葉だと思っていました。
いろんな時の「初心」があるのは知らなかったですー。

若い時の「初心」だけではなくて、中年の時の「初心」だったり、年老いた時の「初心」だったり、いくつもの「初心」があるでござるよ。

「初心」がいくつもあるなんて驚きです。
私、今まで生きてきて、「書」で挫けそうになると、「書」を始めた頃の気持ちに戻って(初心に戻って)頑張ろうって思ったりしてました。

また、世阿弥は観客を喜ばせることを「花」に例えて「能」の真髄を説いているのでござる。
現代でも「花のある役者さん」とか言うでござるよね。

はい、確かにその言葉はよく耳にします。

では、それぞれの「初心」について説明するでござる。
まずは「①是非の初心」について。
若い頃は、是(うまくいっても)でも、非(うまくいかなくても)でも、一生懸命に頑張ると思うのでござる。
そしてその一生懸命さに「花」があり、最初にぶち当たるおおきな壁を乗り越えるときの気持ち、それが「是非の初心」でござるよ。

私も一応初々しい時代はありましたよ。
〇十年前の新入社員の頃を思い出しますね。
何事にも一生懸命取り組み、上司や先輩から褒めてもらったり、可愛がって頂いたりで、そして認めてもらった時は本当に嬉しかったですね。
今思えば社会人生活の中での最初の花だったかもしれません。

実はその認められている時こそが壁であり「初心」だと、世阿弥は言っいるのでござる。

???
ごめんなさい、よく意味がわかりません。

若い時にはバイタリティもあり、才能を開花させ、褒められることも多いと思うでござる。
一人前になったと感じることも多いのではござらんか。
ちやほやされてしまうと謙虚さをなくしていく人も中にはいるでござる。
しかし、そこで満足しては先に進むことができずに停滞してしまうでござるよ。

確かに身に覚えがあります。
満足してしまうと、そこに胡坐(あぐら)をかいてしまいたくなりますものね。
でも、置かれている状況に満足しないで、目の前に立ちはだかった壁を乗り越えて突き進んで行くことで、そこには成長した自分がいるのだと思います。

その通りでござるよ。
「初心忘るべからず」とは、どれほどの経験を積んでも、今の初心、つまり未熟さを忘れてはならないと言っているのでござるよ。
初心=未熟さ
それを積み重ねていくことが、2つ目の「時々の初心」となるのでござるよ。

なるほど、世阿弥さんは自分に厳しい方だったんですね。

では次に、「②時々の初心」について説明するでござる。
能の役者でも経験を積んで慣れてくると、舞台に上がっても、若い頃の「初心」を忘れて熱意(一生懸命さ)がなくなり、芸に「花」がなくなって観客を魅了することができなくなることがあるでござる。
そうならないよう常に「初心」を忘れず精進する必要があると世阿弥は説いているのでござる。

確かに現状に満足していては成長が止ってしまいますものね。
昔を思い出すと、いろんな未熟さに身が引き締まる思いがします。(*_*;

拙者が思うに、それぞれの段階の「初心」を経験していくということこそが、今の自分を作っているのでござると。

今この一瞬の積み重ねが未来の自分でもありますものね。
「初心」つまり未熟さの中で、失敗したり恥ずかしい思いを経験しながら、それが勇気や自信に変わって行って、自分の身と肥やしになっていくのですね。

そうでござるよ。
若い時だけではなく、人生のどの段階になっても人は未熟さを持っているでござるよ。大人になっても同じでござる。
満足していては成長はしないでござる。

そうですね。
努力して成長し続ける人の人生には「花」がありますもんね。

最後に「③老後の初心」についてお話しするでござる。
誰もが生きていると、必ず「老い」がやってきて、名人といわれるような役者でも歳を取ると思うような動きができなくなり、何もしないと「花」がなくなってしまうでござる。
そのため、老いてもなお、努力して新たな芸を身につける、これが「老後の初心」でござる。
能(芸術)の世界には極めつくすということはなく、死ぬまで「初心」を忘れず道を進みなさいという世阿弥の教えなのでござる。
世阿弥は死ぬ直前の老いた父:観阿弥の舞を見て、「老木(おいき)に咲いた花を見た」と評しているでござる。
世阿弥にはそれが観阿弥の人生の集大成として咲かせた「花」に見えたのでござろう。

素敵な話ですね。
今では人生100年時代と言われていて、私もまだまだ頑張らないといけないと思いました!

世阿弥は「能」という芸術の世界で「初心忘るべからず」という言葉を残しているでござるが、拙者も含めすべての人々にも当てはまる教訓だと思うのでござる。
そのことを言いたくて、今日三度(みたび)出演させていただいた次第でござる。

『初』さんのお気持ちとてもうれしいです。
またとても素敵なお話をありがとうございました。
どんな状況でも「初心」を忘れずにいたいと心から思いました。

世阿弥は若い時の一時的に咲いた花のことを「風姿花伝」の中で「時分(じぶん)の花」と書いているのでござる。
例えば幼少の頃は誰もが一度は「可愛いとか美しいとか、天才」といったほめ言葉をもらったことがあるかと思うでござる。
時分の花」とは、その時々の一瞬の輝きのこと、それを積み重ねて行くことで「まことの花」になれるのでござるよ。

「まことの花」☆彡
素敵な言葉ですね。

桃舟さんがいつか「まことの花」を咲かせるよう、心から応援しているでござるよ。

初心」を忘れず、たくさんの「時分の花」を咲かせ、「まことの花」を咲かせるよう精進したいと思います。

漢字ハウスをお読みのみなさん、今、大変な状況だと思うけど、こういう時だからこそ「初心忘るべからず」という言葉を思い出して、今しか咲かせない、世界で一つだけの「」を咲かせてほしいだワン!

 

あっ、また『初』さん次回のゲストを紹介せずに流浪の旅に出てしまっただワン。
でもルシェルは知ってるだワン、次回のゲストはこの方の予定だワン!

では、まただワン!

 

この度は更新が遅れてごめんなさい。💦
また、このような大変な時に「桃舟の漢字ハウス」を読んで頂き、本当にありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです。
くれぐれもお身体に気を付けてお過ごしください。
一日も早く、この事態が終息に向かい、皆さまが平穏な生活に戻れることを心から祈っております。

 

桃舟の漢字ハウス第23回は こちら になります。